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〈ウリマルの泉(우리 말의 샘) 9〉
朝鮮大学校のウリマルの風景(조선대학교의 우리 말 풍경)
《朝鮮新報》2021.01.31
朝鮮大学校創立10周年を迎えた1966年4月、私は12期生として朝鮮大学校文学部に入学した。
大学の門をくぐるとそこはまるで別世界だった。教室、寄宿舎、食堂、売店、運動場、校内のあちこちから小鳥のさえずりのようにウリマルが聞こえてくる。教室や校内の掲示板にはウリマル学習のための多くの資料が貼られていた。食堂に行くと肉や魚、野菜の単語表があるし、売店に行くと文房具の名前が書かれていた。정어리(チョンオリ・いわし)、공치(コンチ・さんま)、고등어(コドゥンオ・さば)、다랑어(タランオ・まぐろ)、우엉(ウオン・ごぼう)、고사리(コサリ・わらび)、고비(ぜんまい)、쑥갓(スッカッ・春菊)などのことばを覚えたのはこの頃である。
入学して間もない4月末、食堂で食事の順番を待っていると後ろの方から日本語が聞こえてきた。その時だった。「誰だ。日本語を使っているのは」という声がした。振り向くと文学部の先輩だった。注意された学生が「あの、僕たち日校出身なので」と言った。すると先輩は「日校出身生だから日本語を使ってもいいと思っているのか。そんな甘い気持ちではウリマルを学べないぞ。日本語で話すときは遠慮して話しなさい」と叱った。朝大で生活する者にはウリマルしか許されないという環境がそこにはあった。
当時、大学の構内で教職員の子どもをよく見かけた。その中にウリマルしか話さない子がいた。
ある日の夕暮れ時、顔見知りの先輩が寄宿舎(現4号館)の前で遊んでいた4~5歳になる男の子に「1階の奥の部屋にいる人を呼んで来て」と言った。すると男の子は「싫어. 무시무시해요.(いやだ。こわいよ)」と返事した。すると先輩は「えっ、むしむしする? 涼しいじゃないか」と言うと、また行ってこいと言う。男の子は「무시무시해요. 싫어요」を何回も繰り返しながら拒み続けた。その光景を見ていた私は、朝大生も知らないことばを使うこの子のウリマルに感心した。
まさに大学はウリマルの泉だった。ウリマルが飛び交う朝鮮大学校があることが誇らしく思えた。そして、こんなウリマルの環境の中で学べることをうれしく思った。この環境が在学生、特に日校出身生に最高の言語環境を提供していた。
日校出身生は4月から7月にかけて毎年「ウリマル学習100日間運動」を展開していた。朝大の素晴らしい伝統の一つだ。この期間に朝鮮語の読み書きと聞くこと、話すことの四技能を基本的にマスターするのである。
日校出身生たちは、早朝から深夜まで全員でウリマルの勉強に励んだ。文学部の学生を中心に出身学部の先輩たちがウリマルの学習を手伝ってあげる。日校出身生は毎日、ウリマルのシャワーをたっぷり浴びる過程で朝鮮人としての自覚と誇りを取り戻していく。そして毎年、100日間で朝鮮語を基本的に習得するという奇跡を起こしていた。1965年にカナダで始まったとされるイマ-ジョン教育による第二言語習得の方法論が、朝大ではすでに創立当初から実践されていた。
ことばの習得に言語環境が及ぼす影響は極めて大きい。言語環境とは、言語生活や言語発達にかかわる文化的、社会的、教育的な環境のことだ。
言語環境には、ことばを使用する家庭環境、学校環境、社会環境だけでなく、ことばを学ぶ人の心理的な環境も含む。日本語の言語環境の中で少数派言語である朝鮮語、それも日本政府の長きにわたる執拗な民族教育弾圧政策のもとで危機にさらされている朝鮮語を学ぶのは簡単なことではない。
今日の在日朝鮮人を取り巻くこのような環境の中で同胞やウリ学生たちが、「別に話せなくても日本に住んでいるから不自由しない」「使う機会もないから学ぶ必要はない」と考え、学ぶことを放棄すれば朝鮮語は在日朝鮮人社会から遠からずなくなってしまうだろう。これに打ち勝つかどうかは在日同胞の考え方次第だ。この考え方を左右する力が心理的な環境である。現実は、在日朝鮮人にとって心理的な環境作りが何よりも大切だということを物語っている。この心理的な環境を自らの手で作ることが重要なのだ。
「ウリマルは自分にとってどういう存在なのか、ウリマルは自分に何をもたらしてくれるのか」。こういうことを深く考えて理解し、現実に対して危機感や使命感を持つことで「どんな壁でも乗り越えられる強い心の準備」をすることがウリマル習得の鍵となる。
心理的な環境を作ると同時にウリマルを使う環境作りが重要である。
学校教育に携わるすべての教職員がウリマルに関心を持ち、学生の言語環境を整える努力をするとともにウリマルに関する知識と言語能力を育んであげることが大切だ。
子どものことばの習得と発達にとって父母が果たす役割は重要である。家族間でのウリマルによるコミュニケーションの場を作る努力が必要だ。
ウリマルの環境作りはウリ学校と家庭だけでなく、総聯と同胞社会全体が力を合わせて取り組むべき重要な課題である。
志を一つにして団結すれば、在日朝鮮人社会に美しいウリマルの花をこれからも咲かし続けることができるだろう。
배우다の語源
배우다(習う、学ぶ)は배다を語源とする言葉です。아이를 배다の배다です。배다は人や動物が「(子)を身ごもる、はらむ」という意味を表す言葉で、「しみこむこと」や「内部に浸透する」という意味も持っています。물이 배다(水がしみこむ)、땀이 배다(汗がしみつく)、몸에 배다(身につく)などの배다と同じものです。知識も몸에 배는것(体にしみこむこと=身につくこと)なのです。この배다の語幹배に우をつけて배우다という使役の形にすることで「しみこませる、身につかせる」という意味を表しました。배우다には、身につかせるために努力する人間の能動的な活動の結果、知識や技術を得るという意味があるのです。子をはらませるように、頭や体に知識や技術を身につかせるための意識的な活動をすること、これが배우다の本来の意味なのです。배우다という言葉の成り立ちから、努力なしには学ぶことができないと考えた朝鮮民族の世界観を見て取ることができますね。
(朴点水・朝鮮語研究者)