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〈民族教育と朝鮮舞踊12〉夢にまで見た祖国での「ソルマジ公演」②
〈民族教育と朝鮮舞踊12〉夢にまで見た祖国での「ソルマジ公演」②
《朝鮮新報》2022.01.14
芸術担当の重責を担って
1987~88年の年末年始は、私の生涯で忘れられない特別な冬となった。第2次在日朝鮮学生少年芸術団の芸術担当として、30人の初中級部生を4人の教員と共に引率し、2カ月半の夢のような日々を祖国で過ごしたからである。
初参加の87年に次いでの2回目は初級部の児童が多く参加するようになった。しかし、1次の時より遅い出発であったうえに、悪天候で船が出られず、新潟での停泊を余儀なくされた。結局10日間もかかって12月7日にようやく元山港に着いた。私たちは焦っていた。すでに祖国の子どもたちは、1カ月前には作品を完成させ、何度も通し練習を行っていた。22日にある国家的な2次試演会までは約2週間。実質的には10日くらいしかなかったうえに、作品は未完成であった。前年の作品と類似せず、在日朝鮮学生の特色と童心を活かさなければならないとの要求から、芸術担当の私には大きなプレッシャーが重くのしかかってきた。
今回のテーマは「手紙(편지)」。在日朝鮮学生の誰もが、主席と一緒にソルマジの集いに参加したいとの思いを手紙にしたためて、それを私たちが持って参りました、という内容であった。中級部が5人、初級部は25人で、その中には4年生が5人も入っていた。引率教員たちは焦燥感に駆られたが、幼い子どもたちにその様子が伝わってはならない。子どもたちは初めて親元から長期間離れているのだ。4年生の中には、夜になるとホームシックで泣く子もいたし、お姉さんたちに髪を結ってもらうため早朝から部屋の前に並んで待っている子もいた。それでも誰一人弱音を吐く子はいなかった。みんながソルマジ公演に参加できることをとても名誉で誇りに思い、家族や先生、友達からの激励を受け、在日学生の代表としての自覚と決意を持ってウリナラに来たのだ。
祖国の創作家たちと私たちは、作品創作のための協議を重ねた。子どもたちの生活全般を見られる金貞任先生と話すうちに、兵庫のある先生の詩が思い出された。「左足から降りようか、右足から降りようか」という題の詩だった。この詩は、生まれて初めて祖国の地を踏もうとする朝高生たちが、船のタラップを降りる瞬間、靴と靴下を脱いだ素の両足で祖国の地に降り立ったという感動的な実話をモチーフにした詩であった。この詩を歌詞にして、作品をつくることで意見が一致した。祖国の作家が詩を歌詞に変え、著名な児童音楽作曲家であるハム・ギチャン先生が一晩で作曲をしてくれた。按舞は1次と同じくキム・キョンシム先生と行った。船が到着し、右足から降りようか、左足から踏み出そうか、そして涙が先にこぼれました、と手紙を抱えて踊る主人公、特色ある舞踊動作、説話の一言一句が、団長をはじめ私たちの意向を汲んで作られた。
1987年12月31日、主席は会場にお入りになる時、毛筆で丁寧に書かれた本物の手紙を直接ご覧になった。出演が終わると、すぐに私たちは会館内の大きな応接室に案内された。
ひょっとしたら、と私たちは目を疑った。ソルマジ公演が終わってから主席がその部屋にお越しになったのだ。温かく眩しい太陽のような笑みを満面に浮かべて、私たちの方に向かって来られた。団長のあいさつと学生代表の花束を受け取り、その子を抱擁された。主席は泣きじゃくる子どもたちに向かって、泣いてはいけないと、泣くと写真が台無しになるからと、泣かないと約束したではないか、とやさしくおっしゃった。子どもたちはうれしさと感動で泣いていたが、実は教員の方がより一層激しく泣いていた。特に金先生と私は、主席と直接握手をかわすことができて号泣してしまった。今でもその時の光景がありありと脳裏に焼き付いている。
主席と総書記は正月を祖国で過ごす私たちに果物やお菓子を送ってくださったばかりか、祖国を離れる直前には温情のこもった贈り物を一人ひとりにくださった。「ソルヌナ」と同様に「オルンバル(右足)、ウェンバル(左足)」の歌(チョン・ヘヨン)も祖国で流行り歌われた。
30年の歳月が過ぎた2017年9月9日、「手紙」のメンバーは同窓会を上野東天紅で催した。当時の6年生が中心となって30人の連絡先を調べ、なんと29人と繋がり、23人が参加した。その2年前に、学生責任者であった金明善(中3)さんが東京に来るというので、金英琴(初6)、崔恩和(初5)、任恵良(初4)さんたちが集まり、30周年を記念して同窓会を開こうと決めたそうだ。東京在住のメンバーが率先して学年別・地域別に連絡を回し、29人の連絡網も完成させた。教員たちには丁重な招待状が送られてきた。参加できない先生からは、メッセージや公演のDVDが送られて来た。
同窓会は、歌あり、踊りありのとても準備が行き届いた意義深い場になった。まるで30年前にタイムスリップしたように、当時の話や近況についての話が尽きることなく、3次会まで時間を惜しむように濃密な時間を共有した。彼女たちは、金剛山歌劇団や歌舞団、舞踊教員などを経て家庭を築き、子どもを育て、今それぞれの人生を歩んでいるが、ソルマジ公演は間違いなく人生のターニングポイントであったと明善さんや英琴さんは話す。それは第1次と同じく主席と総書記の慈しみの中で、身をもって祖国のあたたかさを実体験したからであろう。
朴貞順(朝鮮大学校舞踊教育研究室室長)