在日本朝鮮人文学芸術家同盟

〈民族教育と朝鮮舞踊15〉朝鮮舞踊講習会-祖国の専門家を招聘(1996∼1998)

《朝鮮新報》2022.05.02

〈民族教育と朝鮮舞踊15〉朝鮮舞踊講習会-祖国の専門家を招聘(1996∼1998)

文芸同中央舞踊部の活動

私は1986年6月に祖国の朝鮮舞踊家同盟候補盟員、92年5月に正盟員になり、日本でも91年から4期にわたって在日本朝鮮文学芸術家同盟(略称・文芸同)中央の舞踊部副部長として活動した。文芸同舞踊部の大半は、朝鮮学校舞踊部(ソジョ)出身者であった。

「朝鮮舞踊家代表団」の朝鮮大学校訪問(1996.8)(左から2番目-リ・インスㇰ先生、3番目-南時雨学長(当時)、中央-キム・グァンジン団長、右から2番目-ヒョン・ウンシル先生、3番目-筆者)

舞踊部副部長としての2期目に、文芸同中央舞踊部は祖国の専門家を招聘して舞踊講習会を組織した。70年代後半から金剛山歌劇団、地方歌舞団の新入団員講習や伝習が行われ、80年代からは迎春(ソルマジ)公演や音楽舞踊大学の通信生、文芸同伝習団などが祖国で舞踊の指導を受けてきたが、祖国を訪問するには時間的にも経済的にも限度があった。若い世代が祖国で舞踊を習って来ては、今まで普及されてきた基本動作が変わったと混乱を起こすこともあり、「朝鮮舞踊基本」を再確認して統一するためにも、祖国の先生方を招いてより多くの舞踊家、愛好家、教員、学生たちが学べればどれほど良いだろうか、という意見が多く交わされていた。また舞踊に不可欠な民族的情緒を養うことも緊要な問題であった。実現可能性については半信半疑であったが、祖国は95年以降の厳しい状況の中でも、在日同胞のために講師を日本に派遣してくれた。そして、当時は日本政府の入国許可も得ることができた。

中央舞踊部は講習内容と日程、場所、対象、先生方のスケジュールを組み、各支部舞踊部は会場や受講申請、宿泊先、交流会や食事などの準備をした。私は講習全般の内容と進行を受け持ち、先生方に同行して宿泊しながら各地方を回った

「朝鮮舞踊講習会」高級部の講習模様(1997.8)(中央-チョン・へオㇰ先生)

1996年7月30日、キム・グァンジン団長と講師のリ・インスㇰ(平壌音楽舞踊大学教員)先生、ヒョン・ウンシル(ピパダ歌劇団舞踊俳優)先生で構成された「朝鮮舞踊家代表団」が来日し、9月5日まで滞在した。講習は大阪、兵庫、広島、愛知、東京の5つの地方で計6回、1ヶ所で4日ずつ行われ、延べ517人(学生は315人)が受講した。翌年の第2次(97年7月29日~9月3日)には、「朝鮮芸術家代表団」としてリ・ヨンイル団長とキム・ウナ(朝鮮芸術交流協会舞踊講師)先生、チョン・へオㇰ(国立民族芸術団舞踊俳優)先生が来日し、同時にチャンゴと民謡、書芸の講習も行われた。舞踊講習は1次と同じく5ヶ所で一般 (高級部以上) が5回、中級部5回の計10回行い、639人(学生は409人)が受講した。そして第3次(98年7月30日~9月3日)では、「朝鮮芸術家代表団」としてウォン・ベク団長とリ・インスㇰ(平壌音楽舞踊大学教員)先生 、リ・ヨンオㇰ(万寿台芸術団舞踊指導員) 先生、チャンゴと民謡、話術の講師による講習が行われた。やはり5ヶ所で一般は6回、中級部7回の計13回、706人(学生は423人、日本人舞踊家2人)が受講した。3年間の舞踊講習会には総数1,862人(初級部から大学生までの1,147人を含む)が参加したのだった。

講習では何よりも、朝鮮舞踊の基本・基礎を習得することに重点を置いた。3、4世の若い世代や学生たちが形だけではなく、朝鮮舞踊の真髄である民族的な粋(モッ)や興趣など、日本では習得し難いものを本場の先生方から伝授していただくのが目的でもあった。文芸同舞踊部、歌劇団、歌舞団と高級部以上は4日間、中級部・初級部の子どもたちは2日間(別メニュー)、午前9時から午後5時まで汗をびっしょりかきながらの濃密な講習が行われた。第1次は「朝鮮舞踊基本」を、第2次はその基本をより正確に踊るための基礎動作と民俗舞踊基本(扇の舞、ノットゥリチュム、汗杉の舞、コチャンチュム)を、第3次は基礎動作と民俗舞踊基本(サムドンドンオッケチュム、ソゴチュム、ノットゥリチュム)を中心内容とした。受講生たちは、チャンダンに合わせた先生方の民族情緒溢れる模範動作に魅せられ、くいいるように見つめながら、朝鮮舞踊の基礎を体系的に習得していった。

祖国の招聘講師による3回の「朝鮮舞踊講習会」は、単なる伝習会ではなかった。講習生たちは、「これこそが本物だ」「先生方の魅力的で情緒豊かな踊りと献身的な指導姿に、祖国をとても身近に感じありがたさに胸が熱くなった」「祖国を持つ自負心と民族の魂を大切にして、朝鮮舞踊を愛し普及させるため地域での活動を活性化していきたい」と感想を述べた。学生たちは休憩時間になっても先生の周りに集まり、わからない動作や呼吸の取り方などを熱心に聞きながら何度も練習をした。祖国の講師に直接教えを受けられる喜びに溢れたその姿は、微笑ましく印象的であった。各地の活動家や女性同盟、商工人までもが関心を持ち、歓迎の食事会を催し先生方の健康を気遣ってくれた。

「朝鮮舞踊講習会」中・高級部の講習模様(1998.8)(左-筆者、中央-リ・インスㇰ先生、右-リ・ヨンオㇰ先生)

講習会は在日同胞社会に旋風を起こした。暑い日本の夏、全国の講習地を3泊4日で回る超ハードスケジュールであったが、祖国の先生方は全ての受講者の熱意に同胞愛で応えてくれた。講習にはさまざまなジャンルの舞踊家も参加したが、朝鮮舞踊の素晴らしさや魅力に圧倒されていた。3回目には、以前から私と親交のある日本人舞踊家2名も受講し、立川洋舞連盟理事で現代舞踊研究所を主宰する舞踊家も一日中感動の中で見学していた。

3年間行われた真夏の「朝鮮舞踊講習会」は、広範な舞踊家、愛好家、教員、学生にいたるまで朝鮮舞踊の真髄と民族の粋(モッ)、興趣(味わい)を心と身体に印象深く刻み込んだ素晴らしい学びの場であった。

朴貞順(朝鮮大学校舞踊教育研究室室長)

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