在日本朝鮮人文学芸術家同盟

「韓東輝回顧展」

「韓東輝回顧展」/朝大で開催

《朝鮮新報社》2023年05月13日

在日朝鮮人を考える土壌に

在日朝鮮人美術家で、朝鮮民主主義人民共和国功勲芸術家の故・韓東輝さんを偲び、4月26日から今月2日にかけて、「韓東輝回顧展」が朝鮮大学校で開催された。同大美術科と一般社団法人在日コリアン美術作品保存協会(ZAHPA)が主催した。

1935年に済州島で生まれ、幼少期に渡日した韓さんは、祖国の解放後、済州島に戻った後、釜山に移り住み釜山中学校に通った。朝鮮戦争中である1952年に日本に渡り、東京中高へ進学。卒業後は、同校をはじめ神奈川中高、東京第1初中などで美術教師として、95年から朝大美術科の教員として民族教育における美術部門の発展に尽力した。その他にも、「日本アンデパンダン展」、「平和美術展」「日朝友好美術展 神奈川」、「在日朝鮮人中央美術展」に継続的に参加するなど、晩年まで作家として精力的に活動した。

回顧展では、展示会のチラシにも掲載された漁夫を描いた油絵など、韓さんの代表作をはじめとする全22点が並んだ。

韓さんと親交のあった50代の同胞女性は「植民地期と解放、祖国の分断と冷戦の経験をまっすぐに表現する先生だった。ストレートで迷いのない表現に接し、韓東輝先生が目の前にいるような感じがした。どの作品も学生時代に見たことがあったが、このように改めて見るとまた新しい発見がある」と感想を述べた。会場を訪れた50代の同胞男性は「展示された資料を見ると、在日朝鮮人の他の文化人とのつながりもわかる。美術家1人を掘り下げることで、他の多くの在日1世の生活と活動が掘り起こされるということを痛感している。他の文化活動も活発であってほしい」と語った。

主催団体であるZAHPA代表の白凛さん(在日朝鮮人美術史)は、「韓東輝先生の生活と制作活動を知ることで、同時代の1世の様子も浮かび上がる。在日の美術作品の意義を広く伝え、次世代が『我々は一体何者なのか』を考える精神的土壌になればと思う」と語った。

【在日コリアン美術作品保存協会】

展示会場に掲示された解説文を紹介する。(解説は白凛さんによるもの)

済州島で生まれ、幼児期に日本に渡っている。横浜で家族および親族と過ごした。小学4年生の時に朝鮮の解放を迎えた。「解放の時、三浦半島の三浦三崎にいた」と語った。解放後朝鮮半島に戻り、済州島でしばらく生活した後、釜山中学校に通った。同校の美術教員に創作の素質があると認められたことで、美術制作に対する自信を持つことができたそうである。1950年6月、朝鮮戦争が起る。これを背景に日本に渡ってきており、自身が日本に来たのは「民族同士が銃を向け合う争いに子どもを巻き込ませたくないという両親の意向があった」と、何度も語った。日本では東京北区の東京朝鮮中高級学校に通った。同校では朴盛浩先生に美術を学んだ。その後、日本美術学校に通い、この頃、朝鮮大学校に設置された芸術部門の学部に通った(本人は「芸体科」と回想した)。設立当初、同校美術講師として箕田源二郎(1918ー2000、日本の画家であり美術教育者)や、李寅斗がいた。

韓東輝が高校生であった1953年、「在日朝鮮美術会」が新たに組織され、金昌徳(1910ー1982)、金昌洛(1924ー1989)、全和凰(1909ー 1996)、宋英玉(1917ー1999)、韓宇英(1920ー?)などリアリズムを目指す在日朝鮮人美術家と共に活躍した。

1960年、神奈川で開催された第1回「日朝友好美術展」に参加。同展に展示された作品は「中留朝鮮人部落」など3点であり、現存している。同展は、「日本アンデパンダン展」で出会った日本人美術家と開催したものであり、1960年代には、ベトナム戦争に対する反戦の意を表明する「平和美術展」にも出品している。

1970年代には、平壌で朝鮮画を学び、在日朝鮮人の民族教育に、これを取り入れる活動に尽力するなど、韓東輝は生涯にわたって朝鮮半島の平和を願いながら活動し創作していた。

特に好んで描いたテーマは、海で働く人々や漁船、漁具などである。顔や手に深いしわが刻まれた漁夫や海女、貝がこびり付いた浮きや、さびの浮いた漁船、海辺の風景は、幼年期を過ごした釜山への思いを表現したものである。済州島の漢拏山、そして祖国朝鮮の金剛山など、そびえる山々は、朝鮮半島の平和を願って描かれた。思わず手を伸ばしたくなるようなお面や朝鮮凧、干した明太などには、在日朝鮮人の後世に、民族を思う気持ちを大事にして欲しいとの願いを込めていたのだろう。

民族教育の発展に貢献し、2001年の引退後も後進の育成に努めた。今回、遺族の協力を得て、作品整理が進んだのだが、韓東輝が所蔵していた作品の中に、彼の作品以外のものが大事に保管されていた。在日朝鮮人美術家から譲り受けた作品を、自身の作品と共に大事になさっていたところにも、在日朝鮮人の美術活動を支えてきた彼の情熱が表われている。

日本の植民地期を経験し、解放を迎え、冷戦期を肌で感じながら、平和への願いをリアリズムを通して訴えていた。日本における在日朝鮮人の民族教育と美術運動に人生を捧げた先生の生涯については、広く伝えられ、今後も研究が続くだろう。

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