在日本朝鮮文学芸術家同盟

作曲家 康清(KANG CHONG)

朝鮮民主主義人民共和国 功勲芸術家 康清(KANG CHONG)

作曲家 康清氏は1946年4月2日、父 康昌余、母 高玉良の次男として東京に生まれた。

初級部から民族教育を体系的に受け、15歳で早くも吹奏楽曲《五つ星行進曲》を作曲し、東京朝鮮高級学校(14 期生)在学中は作曲を学びながら、吹奏楽部長として指揮者としてもその才能を発揮し学生コンクールに多数入賞した。

1964年4月同校を卒業後、12月に共和国に帰国し、咸鏡北道芸術団で演奏家兼作曲 家として活躍した。

1968年全国音楽舞踊祭典では舞踊曲《抗争の街》を出品し、作曲特別賞を受賞した。 芸術団に在職中、1982年ピョンヤン音楽舞踊大学作曲科を卒業した。

1987年第13回世界青年学生祝典歌応募で《我らの未来は青年学生たち》が祝典テーマ曲に選ばれ、世界的に知られるようになった。1988年共和国功勲芸術家称号を授与された。

1991年、長年の芸術活動が評価され、咸鏡北道芸術団団長に任命された。2001年より文学芸術作品国家審議委員会責任審議員の重責を担った。その間、250余曲を作曲し、「朝鮮歌謡大全集」(2002年度版)に共和国を代表する作曲家の一人として紹介され、作品も7曲掲載された。

国内では労力勲章、国旗勲章をはじめ多くの受賞をしたが、外国のベトナム・ホーチミン青年栄誉章も受賞した。

その問、創作活動過程で故金日成主席臨席のもと幾たびも公演を行い、金正日将軍様の直接旨導も多数受けた。 特に2000年3月3日には将軍様の接見を受ける栄誉を賜った。

2003年6月9日、胃ガンで亡くなった。享年58歳。

第13回世界青年学生祝典歌 

《미래의 주인은 청년학생들》(未来の主人は青年たち)

目次

《오각별행진곡》

《오각별행진곡》 PDF楽譜

この記事が気に入ったら
いいねしてね!

目次