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朝鮮ピアノ名曲シリーズ〈全10曲〉
朝鮮ピアノ名曲シリーズ NO.1
《고향의 밤》「故郷の夜」
作曲:文鏡玉
編曲:リム・グンジェ
演奏:金蓮姫
おぼろ月浮かぶ故郷大同江の夜の情緒を抒情的な旋律であらわした、朝鮮の代表的なピアノ曲のひとつです。
何とも言えない魅力に満ちた主題をピアノスティックにアレンジしながら展開していくこの曲は、我々には元々、あのあまりにも有名なピアノ四重奏曲「故郷の夜」として慣れ親しんだ曲であります。作曲家の文鏡玉(Mun Kyong-ock 1920-1979)がレニングラード音楽院留学中に、心に忍び寄る望郷の念を曲(声楽曲又はピアノ四重奏曲として)にあらわしたと伝えられています。それをピョンヤン音楽大学のリム・グンジェさんがこのピアノ曲に作り上げましたが、作曲家がご存命の時期であったため、当然作曲家本人も納得のピアノ曲であったと思われます。
演奏は、北海道在住のピアニスト金蓮姫さんです。
20代若かりし頃の東京文化会館でのライブ録音です。20代とはいえこの曲の抒情性を見事に捉え表現し切った名演です。
(解説 盧相鉉)
朝鮮ピアノ名曲シリーズ NO.2
《풀무타령 》「鞴(フイゴ)のうた」
原曲:朝鮮民謡
編曲:ペク・ヘギョン
演奏:不詳
鞴(フイゴ)とは、鍛冶屋で風をより強くおこし, 窯の温度を上げるための器具の事です。鞴を使いながら働く姿を歌にした民謡「鞴の歌」を基に作曲したのが、このピアノ曲です。この歌を基にピアノ曲にしたのには、他に「朝鮮舞曲」それに同名の「鞴の歌」(青少年用)等がありますが、我々に最もなれ親しいのは往年の名作「朝鮮舞曲(韓時亨作曲 1950年代作)」でありましょう。今回録音されたこの曲はこの「朝鮮舞曲」よりさらに50年の歳月を経て世に出た曲という事になります。形式も和声も全く新しい装いを持って作られていて、歌を基にした編曲にありがちなワンパターンの編曲から大きく脱皮しています。中間部の抒情的なトリオの部分は実はニューバージョンでの演奏でありますが、改訂前のそれも捨てがたい魅力に富んだトリオとなっていて、私なんかむしろ演奏会等では改訂前のそれを採用したいものです。
演奏者は不詳ですが、この曲を録音した経緯からみてピョンヤン音楽大学関係者と思われます。
因みにこの曲は超がつくほど難易度の高い演奏技巧を要します。しかしピアニストにとって一度はチャレンジしてみたい聞きごたえ、弾きごたえのある一曲であります。
(解説:盧相鉉)
朝鮮ピアノ名曲シリーズ NO.3
青少年のためのピアノ曲3題
第1曲 《아동단가》「児童団歌」
編曲:リム・グンジェ
演奏:盧相鉉
解放前、国の独立を願い大人だけでなく幼い児童たちも色々な形で戦いに加わりました。この曲は、その児童たちの間で愛唱されたとされる「児童団歌」を原曲にして編曲されたピアノ曲であります。たいへん快活で元気はつらつな子供たちの様子を生き生きと表現しています。
曲はテーマと変奏、中間部のトリオそして最後の再現部と、シンプルで分かりやすい構成となっていて、ピアノ愛好家と学生たちの間で今も人気の高い曲の一つであり、又ウリハッキョ(学校)のピアノコンクールでも度々課題曲として扱われて来ている一曲でもあります。 大衆のあいだで知れ渡った歌をベースに、ピアノ曲を作るという風潮が出だした頃の比較的初期の作品で、今ではもう古典的な一曲になったと言っても過言ではないでしょう。
この曲が我々の手に入ったころは共和国のピアノ曲の楽譜の入手はそう簡単ではなく、数は限られていました。1970年代半ば頃より祖国往来が出来るようになり、曲がりなりにも色んなピアノ曲を目にすることになりましたが、この曲はそれより10年ほど前に「学友書房」より発刊された「ピアノ曲集」という本に掲載された曲で、我々ピアノ愛好家は貪るようにして本の中の共和国のピアノ曲に取り組んだものです。
今回の演奏者もそれに漏れることなく、若かりし頃にこの曲集に魅入られ、朝鮮大学音楽科練習室で全曲(32曲)を録音するに至りました。これはその時の音源を使用した一曲であります。(解説 盧相鉉)
第2曲 《찔레꽃》「野ばら」
原曲:パク・テジュン
編曲:高裕恵
演奏:崔琴仙
原曲は植民地時代の童謡で、飢えをしのぎながら母の帰りをひたすらに待つ子供の淋しい気持ちを歌っています(歌詞参照:虫の音淋しい秋の夜、山のわが家に夜の帳(とばり)、母恋しく泪止まず、庭にたたずみ星を数える)。これをピアノ曲にした高裕恵さん(大阪在住)は、「統一の花」として一世を風靡したリム スギョンさんが来日の折どこかでこの歌をうたったのを聴き、感動を抑えきれずにそれを子供用のピアノ曲にしたそうです。
曲はテーマと3つのバリエーションから成っていて、それぞれに物悲しく愛くるしい子供の心理を巧に表現しています。近年在日学生ピアノ競演大会では、この曲が小学低学年部門の課題曲として毎年のように採用されていますが、就学前か小学低学年の子が舞台で演奏すれば100パーセント美しく映える名編曲と言えることでしょう。
演奏者の崔先生は、ややもすれば単調になりがちなこのやさしいピアノ曲に、抑揚と濃淡を絶妙に加え素晴らしい1曲に仕上げています。(解説 盧相鉉)
第3曲 《배우자》「学ぼう」
原曲:ファン・ジニョン
編曲:オム・ボンナム
演奏:不詳
タイトルが「学ぼう」とは飾り気のない、ストレートな如何にも共和国らしい表現ではありますが、祖国のために、自分自身のために、若者よ貴重な時間を無駄にすることなく一生懸命に学ぼうと呼びかけるその歌が、このピアノ曲の原曲であります。この歌は、時を経て今でも青少年の間で広く愛唱されています。それをピアノ曲にするに際し作者は原曲の特性を生かし、若者向けの軽いタッチとウイットに富んだ曲調にこれを仕上げると同時に、時の流れる様子を長い半音のパッセージで表現するなどの工夫をこらしています。共和国での目撃談ではございますが、若者らが輪になって誰かに歌を催促する場面で、この歌を替え歌にして、「早く歌わないと時間がもったいなく過ぎていくよ」などと冷やかしながら遊んでいる、微笑ましい光景を何度か目にしたことがあります。
このピアノ曲は我々在日の青少年たちにも人気が高く、学生ピアノコンクールの舞台にも度々登場します。その折の学生たちの素晴らしい演奏にはいつも感服すると同時に、つくづくいい編曲だなと思わされる、コンパクトで機知にとんだ、魅力の一曲と言えるでしょう。
演奏者は不明ですが、やはりピョンヤン音楽大学関係者と推測されます。
(解説:盧相鉉)
朝鮮ピアノ名曲シリーズ NO.4
《금강산의 목란꽃》「金剛山の木蘭変奏曲」
作曲:オ・グァンヒョッ(原曲 金元均)
演奏:不詳
歌劇「金剛山のうた」の中のある場面で、主人公の親子が庭先に咲く美しい木蘭の花を愛でながら仲睦まじく歌うシーンがありますが、その時の歌がこのピアノ曲の原曲であります。それは子供が歌う童謡らしく、無駄な装飾を一切省いた限りなくシンプルな歌でありますが、作者はこれを変奏曲形式のピアノ曲として、何とも雄大でスケールの大きい、高度なテクニックをも要する大人の作品に創り上げました。
変奏曲とは、主題となるメロディを色んな形に変えていく(バリエーション)音楽の様式を指します。変奏曲の基となる主題は、大体がシンプルなフレーズを用いていて、それをいかに展開するかがこの形式の一つの見どころとなるわけですが、この「金剛山のうた」変奏曲も例外ではありません。共和国では近年、ピアノ曲にこの変奏曲スタイルを比較的多く用いているように見受けられます。変奏曲の形式は作曲家が、一つのテーマに文字通り色んなバリエーションを加えながら自由に展開していくため、音楽の色んな要素を幅広く取り入れることが可能です。作曲家はより創造的になれるし、自分の音楽的実力の見せ所にもなるわけで、その辺がこのスタイルが重宝される所以(ユエン)なのではと推測します。
曲は主題と12のバリエーションで構成されています。一つ一つの変奏が珠玉のように研ぎ澄まされ、非常に洗練された趣を呈しています。比較的速いテンポで進みながら、突如として静かでゆったりとした曲調が現れる第10変奏のメロディなどは、何とも言えない抒情的情緒を湛(タタ)え聞き手の心に染み渡ります。いつも思う事ですが共和国のあの美しいメロディはどこから出てくるのか、私など皆までは知る由はございませんが、やはり人々の純粋な心の側面の現れと思わざるを得ません。理想を求めて止まないこの国の息吹きが、時にしてこのような抒情的な旋律になり、且つ又劇的な旋律となって表れるものと思われます。心にしみるメロディはテクニックや小手先の作業で決して生まれるものではなく、もっと根幹には作る側のハートが存在し、そこからにじみ出るものと言えるのではないでしょうか。古今東西のクラシックの名曲も、民謡も、いわゆる流行歌の類も、全て歴史の時代的背景、作曲者の心から別個に存在することはありません。音楽はその時代を反映し作り手の心を映し出します。そういう意味においてもこの曲のトリオ部分の美しい旋律は、今の時代に生きる共和国の人たちの心持が大いに反映しての結果だといえるでしょう。
作者오광혁(Oh Gwang-hyock)さんは、ピョンヤン音楽大学に在籍していて、彼の手によるピアノ曲を私も結構な数目にしました。それらは全て、どちらかというと本格的なピアノ曲でありまして、そういうところから推測するに、まだ若手ではありますが彼は有望な音楽家で、近年祖国のピアノ曲の向上に大きく貢献しているかのように見受けられます。
惚れ惚れする演奏テクニックと、惚れ惚れとする編曲の妙味に酔いしれることが出来る、名曲の逸品をご堪能ください。
(解説:盧相鉉)
朝鮮ピアノ名曲シリーズ NO.5
《눈이 내린다》「雪が降る」
ピアノ曲作:リㇺ・グンジェ
原曲:李冕相
演奏:金蓮姫
このピアノ曲の元は、あの有名な歌曲《눈이 내린다(雪が降る)》であります。歌曲の作者は共和国を代表する作曲家리면상(李冕相,Ree Myon-sang 1908-1989)先生です。窓辺から深々と降る雪を眺めながらふと、白頭山の積雪の大地で戦ったであろう独立パルチザンに思いを馳せるこの歌曲は、パルチザンという語句の響きからはかけ離れた何ともロマンチックなその美しい旋律と相まって、たちまち人民大衆の間で広く愛唱されて行きました(南朝鮮で人気の高いあるワイドニュース番組で、この曲を歌詞なしのカヤグム(琴)演奏で聞いた番組進行者は、曲のイメージを聞かれ、「恋人を追う旅人のようだ」と答えていました。なるほど共和国の人々の最も敬愛する対象が独立パルチザンである現実を考えると、言い得て妙だなと思ってしまうほど、曲は抒情性をたっぷりと湛えています)。そしてこの曲は独唱ばかりではなく合唱、重唱などいろんな声楽曲に、管弦楽をはじめとする多種多様の器楽曲、舞踊曲と幅広く編曲され、今では朝鮮を代表する古典的名曲になったと断言して異議を唱える人はいないでしょう。
これをピアノ独奏曲《눈이 내린다》にした作者は数多くの朝鮮のピアノ曲を作曲(編曲)したピョンヤン音楽大学の림근제(Lim Gun-je)さんです。彼とは一度ピョンヤン音大でお会いし、これも又彼の手によるピアノ独奏曲《내 고향의 정든 집(懐かしのわが故郷の家)》を本人の演奏で聞かせてもらったことがありますが、我々在日のピアノ愛好家も含め朝鮮のピアニストたちの間で、彼の作品は今も広く愛され演奏され続けています。彼のプロフィルに関しては具体的には存じ上げませんが、朝鮮のピアノ音楽の発展にはっきりとした足跡を残している一人と言えるのではないでしょうか。
曲は原曲の旋律のモチーフ(2小節くらいの断片)をいわゆる器楽的に展開するのではなく、12小節からなる歌の旋律をそのまま生かしつつ器楽的に展開していく手法をとっているため、誰でもがわかりやすく自然に受け入れることが出来ます。
深々と降る雪の情景を現した音型で始まる曲は、まさしく原曲のイメージをピアノスティックに保ちながら静かに滑り出します。途中、吹雪に包まれる山野の様子などを巧に表現しながら、曲は物寂しく厳しい短調から、明るく開放的な長調へと転調し、絶頂の勝利の雄叫びへと導かれます。
因みに私は、近年新しく発表されたもう一曲の新しいピアノ独奏曲《눈이 내린다》(より現代風な編曲)に魅了され、舞台でも何度か取り上げましたが、今回改めて最初に発表されたこのピアノ曲を見つめ直したところ、やはり古典的でどっしりとしたその素晴らしさに正直心奪われた次第です。
演奏は在日同胞が生んだ女流ピアニストであり、作曲者でもある金蓮姫さんによる東京文化会館でのライブ演奏録音(1980年)であります。 録音を通じてでもその迫力と臨場感は十分に伝わってきて、ライブでこれを聞いた人たちはおそらく胸に迫りくる圧倒感で、感動の空間に酔いしれた事であったろうと容易に想像がつく、素晴らしい演奏です。
(解説 盧相鉉)
朝鮮ピアノ名曲シリーズ NO.6
《휘파람》「口笛」
ピアノ曲作:金真瑚
原曲:リ・ジョンオ
演奏:不詳
このピアノ曲の元は、共和国のポチョンボ電子楽団で創作され一世を風靡した、歌謡《휘파람(口笛)》(作詞조기천;趙基天1913-1951、作曲리종오:Lee Jong-o 19 43-2016)であります。〈ポッスニ〉という女性に恋い焦がれる男性が、彼女の住むアパートの下を通る度、高鳴る胸の鼓動を抑えきれず、思わず口笛を吹いたという、ウィットに富んだこの曲は、発表されたのち瞬く間に大衆の間で人気の一曲となりました。曲は色んなルートを通じ南朝鮮にも紹介されずいぶんともてはやされたようです。やはり曲の内容からして、自然にそうなっていったかと思われます。歌詞の一部を紹介すると
昨夜も吹いたよ口笛
もう何月も吹いてるよ口笛を
ポッスニの家を通る度
高鳴る胸の鼓動
抑えきれず思わず吹いたよ
口笛、口笛
어제밤에도 불었네 휘파람휘파람
벌써 몇달째 불었네 휘파람휘파람
나도 모르게 안타까이 이 가슴 설레여
복순이네 집앞을 지날땐 휘파람 불었네
휘휘휘 호호호 휘휘호호호
(訳詩:解説者)
これをピアノ曲にしたのは、ピョンヤン音楽大学で長年ピアノ講座長で在られた김진호(金真瑚 Kim Ji-no)先生です。私も度々お会いしましたが、いつも明るく優しい先生でした。残念ながら近年亡くなられたとのことですが、たくさんのピアニスト、音楽家を育て上げ、且つ又少なからずのピアノ曲を後世に残しました。我々の間でも、夏期講座等で先生に師事した人たちがいて、その人たちは今でも彼女の事を「チノリン、チノリン」と親しみを込めて呼んでいます。私は何といっても、彼女との共著で第4巻までの<朝鮮ピアノ選曲集>を出版出来たことを一生忘れることはありません。
ピアノ独奏曲「휘파람」は8分音符と16分音符を4拍子の中にうまく組み合わせ、明るくコミカルなタッチで展開して行きます。ある場面では二人の恋の行方を微笑みを浮かべ眺める第三者の立場からの表現が、ある場面では恋心に胸焦がれる二人の感情を、或いは又ある場面では如何にも二人の恋が成就されたのでは、と思わせる旋律が高らかに歌われたりします。因みにこのピアノ曲の導入部分について作曲者自身が次のように述べています「序奏は恋焦がれる気持ちを口笛に乗せ歌い、相手の返答を心待ちするチョンガッ(結婚前の男の俗称)の様を現しています。チョンガッの気持ちを知ってか知らずか、ユーモラスな2小節の導入部を経て主題が軽快に現れ…」曲は流れていきます。
原曲のイメージに寄り添いながらも、機知に富み洒落た感じを、ピアノスティックなアレンジの中で十分に出し切っているこのピアノ曲は、これからもっともっとピアノ演奏家たちの愛する1曲となり、普及していくことでしょう。
(日本初演は2017年11月15日 銀座王子ホール)
(解説:盧相鉉)
朝鮮ピアノ名曲シリーズ NO.7
《어린이를 위한》조곡 「子供のための」組曲
作曲:趙吉錫
演奏:盧相鉉(ライブ録音)
原題に<子供のための>という語句はありませんが、誰が見ても子供の気持ちを色々と現しているのが明白なため、一般的な組曲と区別する意味においても<子供のための>を挿入しました。
全9曲で,それぞれがが非常に洗練されていて、小タイトルが示す通りの表情が見事にメロディ化されています。一曲一曲が別個に扱われ舞台で演奏される事も度々です。特に第2曲<楽しいお仕事>、第3曲<うさぎの踊り>、第5曲<タリョン>、第8曲<小川のほとりで>、第9曲<小太鼓の踊り>は秀でていて、演奏会で単独に用いられたり,コンクールで小学生部門の課題曲としてもこれまで何度も登場しています。近年は共和国での子供のピアノ曲も、ほとんどが子供たちの愛唱歌に根ざした曲となっていますが、これは全曲純粋なピアノ曲として作られていて、そういう意味でも貴重な作品と言えるのではないでしょうか。演奏は1970年代のライヴ録音。
1.어린이행진곡( 子供のマーチ)
子供たちが並んで元気よく行進する模様を現しています。子供だけに隊列を組んで一糸乱れぬ行進とはなかな行きませんが、その辺の事も鑑みて少しユーモラスな感じも加えながらの演奏が求められるでしょう。
2.즐거운 로동 (楽しいお仕事)
子供なりのお仕事に精を傾ける様をピアノで、それも朝鮮のチャンダンの色の濃い3拍子と、これも朝鮮的な5音階を駆使しながら現しているところに、この曲の特徴を感じ取れます。同名調に転調された中間部は、お仕事にちょっぴり疲れ、休憩タイムを取るた子供の様子を現しているが如くです。
3.토끼춤 (うさぎの踊り)
愛知在住の金貞淑さんが確か小学低学年の時、芸術競演大会で弾いた <うさぎの踊り>のなんと可愛らしく素敵な演奏だったことか。私はあの時の残影が未だに残っており、自分で何度とこの曲を弾いても、どうもあの時のイメージに到達できていないような感じがしてなりません。うんと可愛らしく、スケルツォ風に弾きたいものです。
4.옛이야기 (昔話)
さしずめお爺さんがお孫さんに昔話を聞かせてあげている模様を、これもやはり朝鮮のリズムとメロディの色彩が濃いピアノ曲で現しています。冒頭のいわゆる完全4度進行などは、朝鮮の民族的な音楽とか読経でよく用いられるスタイルで、昔話というイメージからも、よくマッチしているように思われます。
5.타령 (タリョン)
タリョンという言葉は、朝鮮チャンダンの一つの形態を指す場合と、ただ一般的な「歌」という意味で使われる場合とがあります。この曲のタイトルは後者に該当します。ゆったりと流れる旋律に哀愁と優雅さを感じさせる一曲であります。
6.달려라 꼬마기차 (走れチビッ子汽車)
お子さんたちの夢と希望を乗せて快走する汽車の模様を現しています。あまりに元気よく突っ走り過ぎて脱線でもしないか、ちょっぴり心配になるような感も無きにしも非ずですね。
7.봄노래 (春の歌)
タイトルの通りの暖かく、陽気な春の季節を優しく描写しています。
8.시내가에서 (小川のほとりで)
小川をさらさらと流れる清い水が連想されるピアノ曲で、その見事な描写により今でも人気が高く、舞台やコンクールの課題曲としてみなさんから愛される一曲となっています。
9.소고춤 (小太鼓の踊り)
8分の12拍子のマンチャンダンという朝鮮のリズム形態に乗って、快テンポで進む、全9曲のこの組曲の中でも最も有名な作品と言えるでしょう。リズムに乗って楽しく、満面の笑みを湛え踊る子供の様子を表しています。 この「子供のための組曲」の作者は共和国の作曲家、조길석(趙吉錫Cho Kill-sock 1926-1996)先生です。我々ピアノ愛好家の中で、彼の作品の代表格として最も有名なのは「幻想曲(後に「歓喜の歌」と改名)」でしょう。1966年に発表されたこの幻想曲は、共和国のピアノ曲の中でも最高傑作の一つとして数えられると思います。先生と在日の音楽家たちとの交流も多々あり、例えばいま日本の作曲界でも活躍されているコ チャンスさんなども若かりし頃、共和国での特別講習で先生に付いて勉強する傍ら、一緒に「풍년든 금강마을(豊年の金剛村)」というピアノ作品を書き上げています。
(解説:盧相鉉)
朝鮮ピアノ名曲シリーズ NO.8
《어디에 계십니까 그리운 장군님》 「星は何処(いずこ)に」
ピアノ曲作:高秀栄
演奏:曺元一(ライブ録音)
かなり前のことではありますが、私が初めてこのピアノ曲の楽譜を手にして弾いた時、「いいピアノ曲だな」と感じたことを今でも鮮明に覚えています。今回、この曲の解説を書くにあたり、どうしてそのように感じたのか、改めて考えてみましたところ、それは何より基になる原曲の素晴らしさにあると思うに至りました。勿論、大衆の間で知れ渡った名曲をピアノ曲にするという共和国のスタイルに沿ってピアノ曲を作ろうとすると、先ず元になる曲がいい曲であることが、ある意味前提となりますが、それにしてもこの原曲のメロディのなんと美しいことでしょう。朝鮮の伝説的英雄金日成将軍が指揮する最高司令部を仰ぎ見、心の拠り所とする従軍看護師ヨノギ、ひたすらに最高司令官の安寧を祈る彼女の心情が見事に旋律に具現されています。朝鮮大学校音楽科教授で作曲家の崔先生とこの曲の事で何度かやり取りをしたことがありますが、崔先生の「これは名曲です」と言った言葉が印象的で、日頃寡黙な彼にそう言わしめるものを、やはりこの曲は持っているということでしょう。
これをピアノ曲にするに際し作曲家は、歌の音節を崩すことなく展開する共和国独特の手法を用いることは元より、原曲の深い情緒を出来るだけ生かし、且つやたら難しくなく、やたらケバケバしくもなく、品格の高い作品に仕上げています。 序奏を経て静かに滑り出す主題の中音の旋律の上でオルゴールのように鳴る高音は、漆黒の空に輝く星のようであり、変奏する第2節の中の3度重音の3連音符での連続は、まるでその星がキラキラと輝くようなフレーズとして感じ取られ(再現部で、もう一度同じようなフレーズが現れますが、私はこのピアノスティックな3度重音の連続がとても気にいります)、又ゆったりと流れる中間部の部分などは星空を眺め感涙する乙女心を連想させます。曲は力強い再現部を経て最後静かに終わっていきます。 典型的なウリナラのピアノ曲のスタイルに則た(のっとった)、そういう意味では特に目新しい形式ではないものの、無駄をきれいにそぎ取り、分かりやすく,そして簡潔なこのピアノ曲の作者は、実は第一次帰国船に乗り共和国に渡った고수영(高秀栄 KO Su-yoeg1952-2018)さんであります。彼はなぜだか、共和国の政治、軍事の中枢(チュウスウ)を養成するかの有名な万景台革命学院に入り、又これも珍しく万景台革命学院出身の共和国功勲芸術家の称号をいただいた人物でもあります。残念ながら近年他界されたそうですが、私は彼の作品の中で一番に挙げたいのは<구름너머 그리운 장군별님께(雲の向こうの愛しいお星さまへ)>という曲です。ある映画の主題歌なのですが、何とも哀愁を帯びた素晴らしい曲で、共和国で知らない人がいないくらいの名曲となっています。彼は映画音楽の巨匠として超一流の地位を築きましたが、日本からの帰国者だけに(7歳の時)我々在日音楽家との交流も結構あったように思われます。す。因みに彼がこの世を去った後も、息子さんが映画音楽の世界に入り、いま一線で活躍されているとのことです。なんだか嬉しい気持ちになると同時に、アボジ以上の立派な映画音楽の作曲家になってくれることを願うばかりです。
(解説:盧相鉉)
朝鮮ピアノ名曲シリーズ NO.9
《벼가을 하러갈때》「稲刈りの歌」
ピアノ曲作:金真瑚
演奏:不詳(ライブ録音)
このピアノ曲の基は共和国の歌曲「벼가을 하러갈때:稲刈りの歌」であります。この歌曲は解放後の土地改革で涌く共和国の農村風景をうたったもの(1948年度作品)ですが、我々在日同胞の間で一躍有名になったのは、何といっても1973年の万寿台芸術団の来日公演の折に、男声4重唱でこれをうたってからでしょう。
歌の元の題は<농사 짓는 처녀(農作業の乙女)>で、後で改名したという事ですが、曲調はどちらかというと現代風で、洗練された都会風の趣を呈しています。
朝鮮の農村の、ましてや解放直後の農村の情景を表す音楽と言えば、やはりセナップとかチャンゴの楽器で、民謡調の旋律を奏でるのがよく似合う感じだとは思ってしまいますが、いやはや何ともモダンな洒落た感じのする曲ですよね。民族的な旋律とリズムが現代風のそれと融合され、独特な雰囲気を醸し出すこの曲を、来日した万寿台芸術団の男声4重唱が見事にハモって歌いあげ絶賛をあび、一躍同胞の間で、特に若者の間で人気の曲となりました。因みにこの時来日し、超過密スケジュールで全国公演をした万寿台芸術団の日本公演は、我々在日の芸術家、特に音楽家たちに強烈なインパクトと影響をあたえました。在日の音楽運動の一つの大きなターニングポイントになったと言っても過言ではないでしょう。
これをピアノ曲にしたのは、名曲シリーズ№6で紹介したピョンヤン音楽大学のキㇺ・ジノ先生です。曲は果てしなく広がる、のどかな空気漂う農村の朝の情景描写から始まります。美しいアルペジオの上で奏でる、朝鮮風の哀愁を帯びた旋律で始まる序奏を経て、曲は楽しい3拍子のリズムに移っていきます。主題の入り方も属和音の第5音から、それも強拍で始まる特異な入り方で、その辺でもこの曲の稀有(ケウ)な個性を感じ取ることができます。そしてこのピアノ曲は、元の歌の主旋律の流れをほとんど崩すことなくピアノ曲にするという共和国のスタイルをきっちりと守りながらも、ピアノスティックに華麗に展開して行きます。お聞きになって分かるようにピアノ曲に展開するに際し、旋律を細かく割いてそれを加工するとか、新しいフレーズを採用するとかという事は一切ありませんので、誰が聴いても大変にわかりやすく、そのまま聞き手の心に入って行きます。
推測の枠の事で恐縮ですが、このライブ録音はチャイココンクールでの本番か入賞者発表会での演奏と思われます。日本で大きく報道されていませんが1990年代前後のこのコンクールで共和国のピアニストが入賞したと聞いており、拍手を送る聴衆の反応とかが、どうもロシアでの会場録音を連想させます。
原曲の作者황학근(Hwang Hack-kun 1925-1951)さんは、他にアカペラ(無伴奏)の名作-合唱《법성포배노래:法聖浦の舟歌》、 《진군 또 잔군:進軍又進軍》等の代表曲がありますが、朝鮮戦争で残念ながら20代半ばで亡くなりました。生存中の功績と若さを考えれば、文字通り朝鮮の音楽界にとって、大きな痛手を被ったと言わざるを得ません。しかし彼が遺した名曲の数々は、今も我々の心の中で生きており、これからも末永く歌い継がれて行くことでしょう。
(解説:盧相鉉)
朝鮮ピアノ名曲シリーズ NO.10
《환상곡》「幻想曲」(환희의 노래:歓喜の歌)
作曲:趙吉錫
演奏:盧相鉉(ライブ録音1984年大阪ピロティ小ホール)
このシリーズも区切りを迎え、さて何の曲を紹介しようかと思案しましたが、やはり往年の名曲「幻想曲」を選ぶ事にしました。録音状態が良くなく、音割れ等も生じていますが、一つの資料としてお聞きいただければ幸いです。
この曲は共和国のピアノ曲の重要なターニングポイントの一曲と思っています。今は廃刊になりましたが<朝鮮音楽>という音楽専門誌が月刊誌として朝大の図書館に納められていました。その月刊誌の1966年の何月号かにこのピアノ曲が掲載されました。ピアノ専門誌ではない,ここに掲載されという事は、どちらかというと稀で、それくらいに評価が高かったものと思われます。と同時にいわゆる純粋なピアノ曲として現れるのはこの辺り迄で、以降共和国では、ピアノ曲も含めた器楽曲は大衆の間で知れ渡った歌をベースに展開していくスタイルに大きく旋回し、今日にいたっています。転機となった象徴的な曲は、1967年の<朝鮮音楽>に掲載されたあの有名なピアノ独奏曲「金日成元帥に捧げる歌」だったと今になっては思われます。共和国のピアノ曲の模様が変化した訳までここで論じることはできませんが、一つだけ付け加えて言うと、その前の良いピアノ曲は無視されることは無く、それはそれで今でも演奏したり、ピアノ曲集等に掲載されたりしています。幻想曲もそのうちの一曲ですが、ただ題名を変えて、内容も少しばかり手を加えています。静かな導入部を付け加えたのと、中間部のトリオの部分のアルペジオに音を付加し、若干複雑にしていることですが、正直余計な音を付け加え人為的に複雑にしている感を否めません。改訂版の前奏なども、それはそれで趣がありますが、やはり初めの作曲家のイメージとはかけ離れていて、私個人の意見としては改訂前の元の原曲がより簡潔で、ピアノスティックで、完成度が高い良いピアノ曲だと思います。曲名も共和国の事情によって改名したと思われますが、日本では改名するような理由は別段見当たらず、我々は元の「幻想曲」でいいのでは、と思います。前述のような理由で、これからこの曲に挑戦する人たちには、タイトルも含めた元の「幻想曲」の楽譜を推奨したいと思います。
曲はファンファーレ的な前奏を経て幻想的なゆったりとした曲調に入ります。明るい長調の序奏から短調に入るこの部分は、解釈によっては、朝鮮人民が過去に背負った暗い時代を現しているとも取れます。とある瞬間のアルペジオを合図に、曲はだんだんと明るく変化していき、快活な2拍子系統の<アンタンチャンダン>という朝鮮固有のリズム形態へと移って行きますが、やはりそれは苦しみの時代から解放された人々の喜びを現しているが如くです。<アンタンチャンダン>のリズムで色々と楽しんだり盛り上がったりしつつ、曲は最後の喜びの歓喜へと登りつめ終結を迎えます。
ピアノ名曲シリーズ№7でも紹介した作曲家の趙吉錫さんは、実はピアノ曲ばかりではなく、沢山の器楽曲、管弦楽曲を発表しています。彼の作による交響詩「祖国のために」、交響曲「白頭山」等の演奏が、ある時期、普通に共和国の舞台で鳴り響いていたと推測します。朝鮮半島を取り巻く環境が和らぎ、生活にもう少しゆとりが出てきた暁には、又彼のそういう作品がきっとどこかで取り上げられることでしょう。その日が一日も早く訪れることを願う、今日この頃です。
最後に、名曲シリーズを区切るにあたり一言添えます。我々の周りにも朝鮮のピアノ曲は沢山あります。そしてそれらは俗にいうピンからキリまで多種多様であります。そこからいいピアノ曲を見つけ出し、それを磨き、人々に伝えて行くのが私達ピアノに携わる者たちの役目だと思います。そのためには、人々に共感を呼び起こす曲を見極め、弾きこなす能力を養われなければなりません。「素晴らしい我々のピアノ曲がいっぱいありますよ」、「ただ、深くまじめに取り組むか否かの問題なのですよ」と、私は声を大にして言い続けます。
(解説:盧相鉉)