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〈ウリマルの泉(우리 말의 샘) 23〉
総聯のウリマル運動とともに(총련의 우리 말 운동과 더불어)
【朝鮮新報》2022.04.06
ウリマル運動は、民族教育事業と成人教育事業などいろいろな形で、解放直後から一貫して推進されてきた運動である。
特に総聯は、結成後、在日朝鮮人運動を一貫して母国語で展開し、朝鮮語を正しく習い使うための民族教育事業と成人教育事業の発展に尽力してきた。
私がウリマル運動と関わったのは、1970年に朝大文学部の教員になってからである。
当時、朝大にはウリマル運動指導委員会があったが、その事務局の一員としてこの運動に加わった。
最初は、主に学習資料作りに関わっていたが、1975年4月に朝鮮語研究所に配属された時、ウリマル運動指導委員会の事務局長を兼任することになった。その後、退職までの約40年間事務局長を務めた。
今もウリマル運動と言えば思い出すのが、ウリマル100%運動だ。
1977年末の冬休みのことである。
突然、大学から出勤するようにとの連絡が入った。なんだろうと思いながら指示通り図書館の会議室に行った。教務部と教養部の責任者、朝青の責任指導員がいた。そこに、南時雨副議長と李時求副学長が入って来られた。
南時雨副議長は開口一番「急に集まってもらったのは、韓徳銖議長の指導があったからだ。朝大は、ウリマルを普及し、在日朝鮮人運動の人材を育成する拠点だ。朝大でウリマルが消えれば民族愛国運動の未来はない。ところが、朝大に日本語がはびこっているという。確認して、もし事実ならば早急に解決策を立てるようにと指示された」と言うと会議を指導された。
当時、朝大生の急激な増加に合わせたウリマル指導ができなかった結果、学内には日本語があふれていた。
2日間の会議で、状況の報告と日本語の氾濫の原因を分析し、その責任を明らかにした上で解決策を協議した。そして、全員が責任を持って解決することを誓った。
新年に入り、まず、教職員全員が一丸になって学内から日本語を一掃するウリマル運動を繰り広げることで一致をみた。
学生たちは毎日、授業後のホームルームでその日のウリマルの使用状況を全員が報告し、次の日の朝に前日のウリマル使用状況を批判的に総括した。
しかし、初期は学部や学級ごとに足並みが揃わなかった。私は当時、文学部の朝青指導員も担当していたが、朝青文学部支部の役員ですら「できっこない」と敗北主義に陥っていた。
そんなある日、文学部23期の女子学生が詩を書いて全校生に訴えた。彼女は、ウリマル運動は1211高地、100%は勝利で99%は敗北だ、一言の日本語も許してはならないと呼びかけた。これを機に、ウリマル使用の機運が一気に高まった。「ウリマル100%運動」はこうして始まった。半年後、朝大に再びウリマルの花が咲いた。
総聯は、1985年2月にウリマル運動を全同胞的に繰り広げるための第1次合同集会を開催した後、毎年いろいろな形で合同集会を開いた。
共和国創建40周年を迎えた1988年4月から11月にかけては「8ヶ月ウリマル習得運動」を広範な社会的運動として展開した。
私は、1970年代半ばから1980年代末にかけて総聯の成人教育推進委員会の一員として、成人学校や青年学校の講師を務めながら朝鮮語学習書作りに励んだ。
総聯は、ウリマル運動をより組織化するため、1989年にウリマル習得運動中央指導委員会とウリマル習得運動中央推進委員会を組織し、本部、支部、団体、事業体にウリマル習得運動推進委員会を設ける重要な措置を取った。中央推進委員会にはウリマル運動研究会を併設した。
私は、ウリマル習得運動中央推進委員会事務局の一員として、ウリマル運動研究会の責任者を任された。
1991年10月にウリマル習得運動推進委員会で企画した教材「ウリマル読本」を、1992年6月までにウリマル運動研究会で作成することになった。全67課の教材を作成後、ビデオ教材を作るために研究会の代表が1992年の夏休みと冬休みに祖国を訪問した。主に国立演劇団の俳優に出演を依頼してビデオを制作した。1993年7月から専任活動家や教員を中心に、この教材でウリマル学習を始めた。
1990年代半ば頃までウリマル運動は、広範な同胞の中で「青年学校」、「成人学校」、「学父兄教室」、「文化教室」、「国語教室」、「ウリマル学習班」などいろいろな形で、総聯の愛国愛族分会創造運動、ウリマル常用模範学校創造運動などと密接に結び付けて全組織的、全同胞的に繰り広げられた。
そのような伝統のある総聯のウリマル運動の灯が、今、消えかかっている。ウリマル運動を再興しなければ後世に汚点を残すことになるだろう。
ウリマル運動は、民族性を固守し民族自主精神を育んで、朝鮮人としての誇りを持って生きていく在日同胞社会の独自の運動で、在日朝鮮人運動の存亡と深く関わっている。
ウリマル運動は、民族の魂を育み、祖国の発展と統一に寄与する民族的愛国運動である。
(朴点水 朝鮮語研究者)
겨레の語源
겨레とは、同じ血筋を受け継いだ民族・同胞という意味です。겨레は결개→결애(겨래)→결에→겨레と変化してきた言葉で、語源は결です。결は「縁がある遠い親戚」を意味する결찌の결と同じものです。この결に「同じ行為を行う特性のある人」という意味の接尾辞개がついて결개になりました。결개は날개が나래になったように、ㄹパッチムの後ろのㄱが脱落して결애(→겨래)になった後、래が레に音変化して겨레になりました。겨레という語は、16世紀の文献に결에の形で初めて現れます。결에は20世紀初頭まで「親戚」という意味で使われていましたが、1910年代に入って「集団、集合」という意味になり、その後、世界に「民族」という言葉が広まるとその影響を受けて「民族」という意味を表すようになりました。現在、겨레が「親戚」という意味を表す言葉には「(同じ血筋を受け継ぐ)同族・はらから」という意味の겨레붙이があります。