在日本朝鮮文学芸術家同盟

〈ウリマルの泉(우리 말의 샘) 21〉

学生祖国訪問団を引率する②(학생조국방문단을 인솔하다)

《朝鮮新報》2022.02.07

1998年5月上旬から7月上旬にかけて学生たちと祖国を訪問した。この時の祖国講習と言えば演劇「피줄기(ピッチュルギ)」(血筋)を思い出す。

講習期間、解放山ホテルに滞在していた私たちは、5月15日に講習の一環として軽喜劇「편지(ピョンジ)」(手紙)を観覧した。朝鮮の軽喜劇は、人物の古くて否定的な側面を軽い笑いで批判する演劇で、軽喜劇편지は金正日総書記が満点だと評価された作品である。 観覧後、指導員が私に「団長先生、今回の講習で演劇をしたらどうですか」と言った。「演劇ですか…」とことばを濁したが、少し気になったのでホテルに戻り総務と話術指導員の박경혜(パクキョンヘ)先生に相談すると、良いと言う。

在日同胞社会の現実と朝大生の生活を描くことにした。台本は祖国の先生に書いてもらうが、資料は私が準備することになった。原稿用紙30枚ほどを一晩で書き上げた。台本は数日で完成した。その作品が「피줄기」である。(祖国講習学生作品集「별무리ピョルムリ(星群)」第9号に掲載)

こうして学生たちは、1カ月余りの演劇の練習に毎日汗を流した。

演劇は6月28日、東平壌大劇場で上演された。公演には金日成綜合大学語文学部の学生や実習学校の生徒をはじめ多くの祖国の関係者が観に来た。演劇公演は大成功だった。感動した観覧者が出演者にお祝いの挨拶をしたいと列をなした。金日成綜合大学の女子学生は宿舎の解放山ホテルまで訪ねて来て、主人公に会わせてほしいと頼んできた。私は、快く主役の鄭錦純と鄭一溶に会わせた。黄昏の中で楽しげに語らう学生たちの姿が印象的だった。

帰校後、大学で上演した。南時雨学長が、素晴らしい演劇だと称賛された。

今も演劇の主題歌「못잊어(モンニジョ)」(忘れられない)をよく口ずさむ。

2000年は3月末から5月末にかけて祖国を訪問した。

講習に明け暮れていたある日の日曜日、久しぶりに休みが取れたので指導員と宿舎の解放山ホテルのレストランで昼食をとることにした。

そこで映画「名もない英雄たち」の主人公김룡린(キムリョンリン)人民俳優に遭遇した。私はとっさに指導員に「ユリムと同席できないか」と聞いた。指導員は「都合を伺ってきます」と言って席を立った。戻ってくると「いいそうです。別室を用意します」と言うと個室に案内した。ユリムと一緒にいた석성제(ソクソンジェ)功勳俳優(現人民俳優)も同席した。(テレビ劇「かっこうが鳴く所」の事務長役など。エルファテレビで視聴可能)

「はじめまして。お会いできて嬉しいです。私は、朝鮮大学校文学部教員の朴宰秀です。学生を引率して祖国を訪問しました」。「김룡린です。彼は석성제俳優です。お会いできて嬉しく思います」とあいさつを交わすとビールで乾杯した。

「김룡린先生を初めて知ったのは、私が朝鮮大学で観た映画『遊撃隊の五兄弟(1968)』で、その後もいろいろ観ました。その中でも『名もない英雄たち』は最高でした」。「高い評価をいただいて光栄です。実は、『遊撃隊の五兄弟』は、金正日総書記がご覧になり、感情の表現がオーバーで役作りがいまいちだと指摘された作品なんですよ。でもそのおかげで練習に打ち込み、演技力を磨くことができました」。

飲みながらの話は尽きなかった。

김룡린人民俳優は1936年生まれで私より11歳年上だった。高等中学卒業後、炭坑や筏流しとして働いていたが、1959年に平壌演劇映画大学に入学し、俳優の道を歩むことになった。

「俳優になって一番苦労されたことは何ですか」。「一番苦労したのは発音ですね。私の出身地は咸鏡北道の会寧ですが咸鏡道地方の発音の癖が今も出ます。特にアクセントには今も苦労していますよ」。「今もですか」。「ええ、だから今も毎日発音練習をしています」。「今日もですか」。「えっ、今日はおなかの調子を整える練習ですよ」とユーモアたっぷりに話される。みんな大声で笑った。

普段、ことば数が少なく寡黙な人だと聞いていたが、酒のせいか多弁でユーモアに溢れていた。

朝鮮を代表する大俳優でも、毎日発音練習に励んでいるという彼に尊敬の念を抱いた。

俳優に酒豪が多いことは常々聞いてはいたが、この二人もうわさにたがわず酒豪だった。ビールから家族訪問用に準備した越乃寒梅、ウイスキーと続く。それでも飲み足らないようなので「次は何にしますか」と聞くと「焼酎がいいですね。ついでに脱皮(皮を剝いだ乾スケソウダラ)も。やはり平壌焼酎と脱皮が一番ですよ」と言う。どっと笑いが起きた。

食事を終えて外に出ると辺りは鮮やかな夕日に照らされていた。ホテルの玄関先で記念写真を撮った。

足取り軽やかに夕日を背にして、さっそうと大同江方面へと歩いていく二人の後ろ姿は、まるで映画のワンシーンのようだった。

継続は力なりという。たゆまない努力が夢を叶える王道だということを再確認させてくれた祖国訪問であった。

(朴点水 朝鮮語研究者)

꽃の語源

母語話者が꽃(花)のことを꼬시、꼬슬と発音しているのを耳にしたことがあると思います。これは꽃の古語が고시/고사であることと関係します。「高麗史」(1451)によると、江華県(現在の江華島)を高句麗では漢字表記で「甲比古次」と記しています。「古次」は「花」の固有語である고시の吏読式表記です。鷄林類事(12世紀)には、꽃화(花)を漢字表記で「果思」と記していますが、これは固有語の고사を表したものと思われます。고시/고사は곱다の곱とも通じる言葉で、꽃の最初の形は고운것という意味から成り立ったと考えられます。朝鮮語で짓/집、솝다/솟다のように子音のㅂとㅅがよく入れ替わって使われました。고사は곳→고지/곶→꽃と変化してきました。龍飛御天歌(1445)では꽃 좋고を곶 됴코と記しています。고시から고지と変化した곶が、初声のㄱ→ㄲの濃音化現象と終声のㅈ→ㅊの激音化現象によって꽃になりました。

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