在日本朝鮮文学芸術家同盟

企画展「在日朝鮮人美術史に見る美術教育者たちの足跡」/京都で

【朝鮮新報》2022.04.02

朝鮮学校の美術教育者にフォーカスした企画展示「在日朝鮮人美術史に見る美術教育者たちの足跡」(主催=版画運動新聞を読む会)が3月18日~21日と同25日~27日にかけて、京都市の同志社大学寒梅館で開催された。

企画展示「在日朝鮮人美術史に見る美術教育者たちの足跡が京都市の同志社大学寒梅館で開催された。(写真はいずれも白凛氏提供)

在日朝鮮人美術教育者の足跡を広く共有し、在日朝鮮人美術史と文化や教育の関連性を探る目的で開催された同企画展。会場には、1949年に開校した神戸朝鮮中学校(現在の神戸朝高の母体)など60年代まで兵庫地域の朝鮮学校で美術教員を務めていた青山武美さん(1908-1980)と当時の朝鮮学校生徒らの版画作品のほか、同氏の教え子で後に美術教員となり、京都における在日朝鮮人文化活動の活発化に寄与した河相喆さん(85、京都中高第1期生)が手掛けた文集(60年代の京都中高生徒らによるもの)など全65点が展示された。

なかでも、来場者たちの注目が集まったのは、朝鮮戦争停戦後に南朝鮮の智里山でパルチザン活動を続け、1963年に逮捕・85年に仮釈放された非転向長期囚の鄭順徳さんをテーマにした版画。60年代の朝鮮学校生徒らによるこの作品群からは、激動する時代の息吹を作品に込めたかれらの心情が垣間見える。

展示会場のようす

また展示作品のうち、その半分が河さん同様に青山氏の教え子で兵庫の朝鮮学校で美術教員を務めた鄭光均さん(76)所蔵のもの。同所蔵作品は「1995年の阪神淡路大震災時に倒壊した青山氏の家屋の瓦礫の中から、救い出したものだ」という。

展示会は、主催団体の中心メンバーである在日朝鮮人美術史研究者の白凛さんが、自身の研究の一環で河相喆さんへ聞き取りをする過程で、朝鮮学校に務めた日本人教師の存在を聞き、衝撃を受けたことがきっかけにあった。

「これまで知らなかったウリハッキョや同胞、当時の闘争の様子を探る手掛かりになるのではと思った」(白さん)

白さんは、その後も関係者らへの聞き取りを重ね、50-60時代の実相にさらに接近を試みるべく、今回の展示会開催に至った。聞き取り調査に関して白さんがまとめた論文には、青山さんがなぜ朝鮮学校で教鞭をとったのかについて、教え子の鄭光均さんが証言している。

「青山武美さんは、家庭を顧みず朝鮮学校の教育に文字通り身を投じた。このような姿を回想しながら鄭さんは次のように話した。―なぜ、そこまでしたかということですよ。戦争と植民地に対する贖罪の意味ですよ」(白凛・論文「在日朝鮮人美術家の知られざる足跡 ─ 戦後最初期の朝鮮人美術家の制作と活動を紐解く語り ─」より引用)

27日行われたシンポジウム

展示会を終えて、白さんは「美術作品は、ただ展示するだけでなく、作品の意義をどのように伝え発信するのかが大事だと考えている。今回の展示会を通じて、戦後日本における版画教育史と朝鮮学校における美術教育との関連性を探ることができた」と感想を述べた。

「河相喆さんの展示作品を拝見して、安土の朝鮮学校に通っていた同級生を思い出した」。そう語ったのは、現在、京都中高の保健室ボランティアをする岩田朝子さん。岩田さんは、自身がボランティア活動をする理由について「反省とお詫びの気持ち」だと述べたうえで「朝鮮学校という存在自体、植民地支配の延長線上にある」と話した。

一方、展示会の最終日には企画内容と関連したシンポジウムが行われた。会期中、同展示会にはウェビナー参加者を含め約140人が訪れた。

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