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書評/ 詩人・許玉汝に老いはない
書評
詩人・許玉汝に老いはない
金正守(金剛山歌劇団団長)
長きに渡り民族教育の場で活動してきた在日朝鮮詩人許玉汝(ホ・オンニョ)が第 3 詩集《羽が生えたように》を世に出した。
第 1 詩集《山つつじ》、第 2 詩集《出発の日に》以来 15 年ぶりの出版となる。
異国に生まれ育ちながらも母国語をこよなく愛し、ウリマルの詩作を貫いてきた詩人だが、今回は日本語編《共に歩む人よ》に 31 作品の日本語詩を発表した。
この 15 年の歳月を顧みると、在日朝鮮人を取り巻く環境はまさに嵐の中を乗り越えて行かなくてはならない厳しい状況であった。
そして、それは今もなお続いていると思われる。
その中で苦難の坂道を共に歩み、力になってくれた大事な日本の友人の心に、直接飛び込んでいきたいと願う詩人の切なる想いが作品から感じとれる。
詩集を読みながら評価したい一点は、ひとつひとつの詩の素材が、きらきらと輝いているということだ。
常々感じてきた事だが詩人の目、耳、そして鼻までもが四六時中、素材の獲得のために集中しているように見える。
そしてそのすべての素材が同胞を思う自らの行動と実践の中で得た宝物のようで光を放っているのである。
《自転車》、《写真》、《クッパプ》、《マフラー》、《招待状》、《貯金箱》、《一輪車》、《停留場》、《年賀状》、《時計》、《雨》等の素材は、厳しい差別の中でも、明日を信じ生き抜く在日朝鮮人社会の、真実の姿の中から生まれ輝いている《物》たちである。
詩人は、いつもその現場の中心に立ち、苦悩しながらも力強く生き抜くなかで素材を発見し、その素材が詩という叫びに変わるのである。
もう一点は、詩集のページをめくるたび、素晴らしい人物の姿に出会う事ができるという事だ。
登場人物すべてが、この社会の不条理に屈することなく、強く明るく生きている。
高校無償化差別に反対し、毎週火曜日、高齢の身でありながらも府庁への抗議の坂道をのぼる《ポンスンおばあさん》。
金婚式の朝、「今日はどう過ごされますか?」と問う娘に、「もちろん見守り隊に行くよ、ウリハッキョの子供たちの笑顔が一番の贈り物だから」と答える老夫婦。
朝鮮学校に通う生徒たちに防災用頭巾やマスクを魔法の手技のように作り届ける《スニハルモニ》。
過去の苦しみを孫たちには味あわせてはならないと、今を頑張る在日朝鮮人の姿が映像のごとく目に浮かんでくるのである。
さらに、詩集には幾人もの日本の友人たちが登場する。
《あなたの涙を忘れない》の中のアサ子さん
《雨が逃げたぞー!》の中の由美子さん。
《忘れないあなたの眼差しを》の中の淳さん。
そして障がいを背負いながらも、「朝鮮学校に補助金を!」のゼッケンをつけ、火曜行動の日、何時間も府庁前に立ち続けてくれた日本の友人。
皆、詩人の行動の中で出会った《共に歩む人》たちである。
この詩集に接し、私たちを応援してくれる数多い日本の友人たちがいることに、読者たちはどんなに多くの勇気をもらったであろうか。
もらった勇気は自己反省に変わり、新しい行動へと移っていくのである。 それを考える時、詩の力とはいかに素晴らしいものであるかと改めて思い知ることが出来る。
この人たちの中で今を生き、言葉を紡ぐ詩人が、またどんなに幸せであろうか。
そして、詩集には祖国分断の悲しみのなか父母の故郷を万感の思いで巡る《故郷-済州島詩抄》(母国語)や、詩人の生まれた地である青森県の田舎町を、70 余年の歳月を経て初めて訪ねる記念詩《生まれ故郷-碇ヶ関を訪ねて》(日本語)、愛する息子への鎮魂歌《十五年の時が流れて》(日本語)が掲載されている。
すべての作品がセピア色のアルバムをめくるように次々と場面を変え読者の心に迫る。
特に生地である碇ヶ関の役場で朗読した《ふるさと》は、詩人の長い歴史であり、苦労の中でも決して過去を忘れず、信念を持ち生き続ける、深い深い想いの姿である。
ある人が私に言った。
「許玉汝は鉄の女」だと。
ウリハッキョと同胞社会を愛し、民族を愛し、祖国統一のために怯むことなく強く生きているのだと。
また、ある人が私に言った。
「許玉汝のあだ名は藤山直美」だと。
言葉を愛し、芸術を愛し、話術に長け、そして、苦しみを笑いに変えて生きているのだと。
第 3 詩集を拝読しながら切に思った事は、今の我々には繊細な叙情より骨太の情感が必要だということだ。
これからもずっと詩人の情感を我々の心に届けてほしい。
詩集のタイトル《羽が生えたように》は、電動自転車をプレゼントされた時の喜びの詩だが、言葉が羽のように時代を舞う、今の作品群のように思える。
詩人・許玉汝に老いはない