在日本朝鮮文学芸術家同盟

ウリマルを考える⑧解放後、朝鮮における言語政策(2)/朴宰秀

ウリマルを考える⑧解放後、朝鮮における言語政策(2)/朴宰秀

《朝鮮新報》2023.02.07

朝鮮での出版物における漢字使用の廃止は1947年初期から文盲退治事業と並行して始まります。そして、1947年末から1948年初めには全面的に推し進められました。

1949年3月末に文盲退治事業を終えると同時に出版物から漢字の使用を廃止する措置が取られ、その後、本格的な語彙整理事業が推進されました。

なぜ朝鮮は、解放後に漢字の使用を廃止したのでしょうか。また、なぜ漢字の廃止に併せて語彙整理事業を推進したのでしょうか。今回は、これらの言語政策から見えてくるウリマルを考えて見ることにします。

なぜ朝鮮は漢字の使用を廃止したのか

一般的に母国語や文字に関する問題は、国を問わず重要な問題として扱われます。解放直後の朝鮮においてはより切実な問題として提起されました。

朝鮮で漢字の使用が廃止された背景には、何よりも文盲退治事業の完成があります。

解放直後、朝鮮では植民地残滓の清算と土地改革に代表される反帝反封建民主主義革命を遂行しなければなりませんでした。それには人々を新しい社会の建設に参加させる必要がありました。この政策を実施するうえで朝鮮人民の文字の習得は最重要課題の一つでした。この課題を解決するために朝鮮は国家的な「文盲退治運動」を繰り広げ、230余万人の非識字者にハングルの読み書きを教えました。その結果、朝鮮人民はハングルで文字生活を営むようになりますが、出版物に漢字が使われているとハングルしか読めない人はその内容をよく理解することできません。

経済の立て直しは国の存亡に関わる重大な問題です。新聞・雑誌などの出版物を通して土地改革の正当性と意義を農民に説いたり、重要産業施設の国有化などの政策を遂行するために労働者に科学技術と知識を教えるには、文盲退治事業の推進に併せて新聞・雑誌などの出版物から漢字を廃止することが切実に求められたのです。

それだけではありません。ウリマルと文字を主体的に発展させていくための要求や、国の主人公となった勤労大衆をより自主的で創造的な存在に育成するためにも漢字を廃止する必要がありました。

漢字は中国の文字で朝鮮語の表記に適していません。しかし、1444年に訓民正音が作られた後も支配階級の漢字崇拝による漢字漢文の使用で、500年の長きにわたってウリマルとハングルの主体的な発展が妨げられて来ました。日帝の植民地支配による朝鮮語の弾圧はより深刻な傷跡を残しました。

文盲退治事業はハングルを教えることが目的でしたが、習得に時間がかかる漢字まで教えると二重の負担を与えることになります。勤労大衆の文字生活をハングルに単一化することでウリマルとハングルの社会的機能を高め人々の自主性、創造性を育てる必要があったのです。

漢字の廃止は簡単ではありませんでした。何よりも長い間の漢字使用の慣習から漢字の廃止に反対する識者や知識人がいたことです。学界の一部では、全面的な漢字廃止方針に反対し、一部の漢字を使用する「漢字制限論」などを主張する人もいました。

朝鮮では彼らを説得する傍ら、文盲退治事業をハングルだけに限定する措置を活かすため漢字の廃止を文盲退治事業とほとんど同時に推進する措置を取ります。

漢字の廃止は段階的に進められました。

まず、学校の教科書から漢字を廃止しました。学校のカリキュラムで朝鮮語の授業時間の比率を高める措置を取る一方、1945年11月からハングルだけによる教科書の編纂を始めます。

また、1946年末頃から労働新聞などの出版物の一部の記事をハングルだけにしたり、ハングルの後ろの括弧の中に漢字を表記したりしながら徐々に漢字をなくしていきました。

このように朝鮮では母国語教育政策や文盲退治事業、ハングルによる文学作品の出版などを推進しながら漢字廃止事業を1947年末から1948年初めにかけて本格化させ、1949年3月末に文盲退治事業の完成と同時に一般の出版物における漢字の使用を完全に廃止したのです。

漢字の廃止は、ウリマルとハングルの主体的な発展、出版印刷事業と人民大衆の全般的な思想文化生活の発展において重要な意義を持っています。漢字廃止事業は人民大衆の文字生活をハングルに単一化することで、その後のウリマルとハングルの主体的発展と人民大衆の自主性、創造性の育成に大きく寄与しました。

語彙整理事業の展開

漢字の廃止後、朝鮮では漢字語を全面的に整理する事業に取り組みます。

漢字を廃止すると漢字の発音だけがハングルで表記されますが、そうすると意味の分からない言葉が続出します。これは、新しい社会の建設や民主改革を推進しなければならない当時の朝鮮において大きな問題でした。これを解決するために語彙整理の問題が必然的に提起されました。

朝鮮では漢字の廃止を円滑に進めるため漢字語を整理する言語浄化運動を漢字の廃止と密接に結びつけて進めます。

解放当時、朝鮮で使用されていた漢字語には日本語式の漢字語、中国式・漢文式の漢字語などが氾濫していました。

このような状況を打破するために漢字語の整理でまず手をつけたのは、日帝時代と封建時代の古い思想や道徳、風習などを反映した漢字語です。

例えば、日本語式の漢字語には「煙突((연돌→굴뚝)、乗換(승환→갈아타기)、切手(절수→우표)」などが、封建時代の古い漢字語には「嚴親(엄친:자기 아버지父親)、内子(내자:자기 안해妻)」などが、中国式・漢文式の漢字語には、「那邊(나변→어디どこ)、好適(호적→좋게 알맞음ちょうどよいこと)」などがありました。

また、飛禽(비금→날짐승飛鳥)、稲高(도고→벼짚稲わら)、某人(모인→아무 사람ある人)、切하다(절하다→끊다切る)、涼하다(량하다→서늘하다涼しい)、必爲(필위→반드시必ず)、敢不生心하다(감불생심하다→엄두도 못내다考えすら及ばない)、堅如金石(견여금석→돌같이 굳다石のように固い)、是故로(시고로→그러므로それゆえ)、然이나(연이나→그러나しかし)、如何히(여하히→어떻게どのように)、 如하여(여하여→~와 같아서と同じで)など漢字で表記しないとよく分からない漢字語や四字熟語、慣用句などがありました。

文盲退治事業の成果を活かすには、このような漢字語を整理する必要がありました。

言語浄化運動は、漢字語および外来語整理などの語彙整理事業から文化語の建設、言語の規範化などへとつながります。

今日のウリマルとハングルの輝かしい発展は、朝鮮における言語政策の賜物です。

世宗がまいたハングルの種は、500年の歳月を経て朝鮮の北の地で見事に開花しました。

【プロフィール】1970年、朝鮮大学校文学部卒業。同校で48年間勤務。文学部及び文学歴史学部学部長、朝鮮語研究所所長を務める。東京外国語大学、関東学院大学、京都造形芸術大学で非常勤講師を歴任。現ハングル能力検定協会相談役。朝鮮民主主義人民共和国教授、言語学博士。

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